Lluís Domènech i Montaner, 1849-1923

ドメネク・イ・モンタンールは、ガウディ同様19世紀末から20世紀初頭のバルセロナで活躍した建築家です。カタルーニャ語の発音に近づけて書くと、リュイス(もしくはユイス)・ドメーナック・イ・ムンタネーという感じになります。

日本では、モンタネールと紹介されていることもあります。ドメネクの作品に、母方の親族から依頼されたモンタネール邸やモンタネール・イ・シモン出版社社屋(現タピエス美術館)などがあるからでしょうか。

名前・父方の姓・母方の姓の順で表記するスペインでは、特殊な場合を除き、父方の姓で呼ふのが一般的ですから、ドメネク・イ・モンタネールの場合、ドメネクと呼ぶべきでしょう。ガウディ・イ・コルネをコルネとだけ呼ばないように。(カタルーニャで出版されているドメネクの本をいろいろ見ていますが、モンタネールとしているものはありません。随分前になりますが、ドメネク博物館の館長さんに確認したときには、ドメネク姓の建築家は他にもいるので、ドメネク・イ・モンタネールと呼ぶのが、より望ましいというお返事でした。)

ドメネクの生年については、かつて1850年として紹介されていましたが、1989年末にバルセロナで開催された大々的なドメネク展では1849年に訂正されていました。

ドメネクは生前、ガウディと同様に当時のバルセロナを代表する建築家でしたが、カタルーニャ主義を掲げる政治家でもあったため、フランコ独裁政治の時代にその名が忘れさられてしまうことになったものと思われます。

しかし、1992年のバルセロナオリンピックの開催が迫った頃、バルセロナではモデルニスモが再評価されるようになり、ドメネクの作品も次々に修復され、華やかな建造物として甦りました。1997年には、その代表作であるカタルーニャ音楽堂とサンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院が世界遺産に登録されています。

私は、1990年に書いた『ガウディになれなかった男』でドメネクを取り上げました。ガウディと並ぶモデルニスモの大黒柱と言われながら、ドメネクはガウディのようには注目されていなかったからです。その頃に比べると、確実に注目されるようになってきましたね。

2000年に放送された世界遺産のテレビ番組では、ガウディがサン・パウ病院で亡くなったと紹介されていましたが、ガウディが亡くなったのは旧市街にあったサンタ・クルス(カタルーニャ語ではサンタ・クレウ)病院です。サンタ・クルス病院はのちにサン・パウ病院と合併したため、今日、サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院という名前になっています。

Josep Maria Jujol Gibert, 1879-1949

ジュゼップ・マリア・ジュジョールは、ガウディの協力者のひとりです。破砕タイルの装飾が美しいグエル公園の波状ベンチ、カサ・ミラの手すりや天井など、円熟期のガウディ建築に協力し、その才能を発揮しました。

ガウディとは27も歳が離れており、またジュジョールがガウディを尊敬していて多大な影響を受けたことから、ガウディの弟子と呼ばれることも多いようです。

ガウディが建築家として活躍した時代はバルセロナ発展期でしたが、ジュジョールが建築家になった頃には、かげりが見え始めていました。そのせいか、ジュジョール自身の作品は一見地味でつつましいものが多いのですが、独自の造型やペインティング、廃品の積極的な活用、コラージュの手法など、今日の芸術に通じる要素が多いせいか、近年、評価が高まっています。

ジュジョールは、私のもっとも好きな建築家なので、別のページで作品を紹介しています。そちらをご覧ください。